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2025.1.17
vol.6 デザインと、同じ夜の誰かに

前回のコラムでうちわ制作における図案デザインの流れを書いたが、その続き。
そこに書き記したような作業を普段から行っている身として言えることは単にひとつ、「デザインって難しいよね」だ。
その難しさはどの部分かというと「正解のない難しさ」、より細かく言うと「完全な正解はないが、明らかに正解であろう(と思われる)方向を見据えてデザインする難しさ」みたいな感じか。
多くの人が共通して「良いな」とか「美しい」と思える何らかの要素が包括されているデザイン、もっと言えば多くの時代を超えてそう思われるものがここでいう「正解(のようなもの)」なのかもしれない。

うちわの場合、例えばひとつの大きな図案だけを配置する場合は自然とある程度の制約が生まれるため、「明らか正解」の方向を探し当てることはそう難しくない。その方向さえ掴めば、あとはそれに沿って微調整を行えば済む。至ってシンプルだ。
それに比べて、1つのうちわ面に多くの図案を配置する作業はシンプルとは程遠い。カオス、と言えるほどの組み合わせの膨大さと向き合いながら「正解(のようなもの)」に近づいていく必要がある。
ちょうど最近そのような制作へ取り掛かっていたので、簡単に具体例を。

column6in

最近制作したとある作品にはざっくり17種類、より細かく分けると25種類の図案を配置しているが、これらをどう落とし込むかという作業はカオスそのもので、ものすごく頭を悩ませた。
(こりゃ大変だわきっと、と取り掛かる前からバチバチに感じていたことではあるが...)
それぞれの図案を起こして形にするのも時間がかかるうえ、起こした図案をどの大きさ・どの角度で配置するか、全てを考えゼロから構築していく必要がある。それに加えて図案どうしの繋がりや全体の調和なども確認しながら作業を進めることは、正直ちょっとした苦行だとさえ感じられた。
それでもなんとか手は止めずに、目指す方向もよく定まらない中でひたすらに手を動かして、自分のイメージに近いものへの取っかかりを掴もうと夜な夜な机に向かってなんとか自分なりの「正解」に近いものへと仕上げることができた。
この際なので次回のコラムで全体像を出して説明でもしようかと。

自分で作ろうと思い立って動き出したはずなのに、なんで自分はこんなに面倒で苦しいことをやっているんだろう、とか、こんなん放っぽり出して読みかけの本の続きでも読みたいな、などと思うのはいつものことではある。
そう思う反面、「楽して美しいもの作ろうなんて思い上がってんじゃねえよ」と喝を入れている自分もいる。
声に出して言うことでもないのだが、それなりに美しいものを作ろうと日々もがいてもいるんだぜ、ということもたまにはお伝えしておこうと思う。
そしてこれからも存分にもがき続けるつもりだ。

最後に余談だが、そうやってひとりで作業している夜はよく、同じように必死に自分のイメージを掴もうとしているどこかの誰かのことを考える。
デザイナーだったり、漫画家だったり、売れない劇作家だったり、明日のプレゼンへ臨むサラリーマンだったり。
同じ夜を過ごしているそんな誰かを想像すると不思議と、もうちょいやるか、という気持ちになっている自分がいる。
全てのクリエイターに幸あれ。お互い良い夜を過ごせたら。