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2025.1.24
vol.7 小説、世界

ここ最近は制作についてのコラムが続いていたので、気分転換に今回は雑文を。

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久しぶりに恋愛小説を読んだらぶっ刺さった。
めっちゃ良い恋愛小説を見つけた、ではなく、文字通り久しぶりに恋愛小説に触れたら思いのほか響いてしまった、が感覚として近い。("恋愛小説"の定義はいったん置いておくとして。そもそもよくわからんし)
今の自分の心境や状況に重なる部分がありぶっ刺さった、という訳ではおそらくなく、「久しぶりに食う焼肉がうまい」みたいな、たまに触れるものの効果が抜群だ的な要因があったのかもしれない。
あとはその小説の舞台が東京でよく行くエリア(主に世田谷・杉並界隈)だったので、より自分の記憶の風景と結びついて物語のイメージが鮮明に浮かび上がったという側面もある気がする。
その物語が包括していた切なさの余韻と、その物語が終わったこと自体への切なさの余韻が入り混じり、読後は必要以上に感傷的になってしまったのは言うまでもない。

世間の人がどのくらい本を読んでいるのかはわからないが、おそらく一般的な平均よりはかなり多くの本(=小説)を読んできたように思う。
10代後半〜学生の頃は暇があったらブックオフの100円コーナーへ行き、国内外・ジャンル問わず気になるタイトルを買っては読むという典型的な「金なし時間あり」のような過ごし方をしていた。
ヘッセとか読んでますよ、みたいなその年頃特有の自分に酔ったファッション読書をしてしまっていた時期もあったり、藤沢周平の時代物に涙したり(あと「用心棒日月抄」シリーズは最高)、 ダブル村上はどっちも好きだけど意外と龍のほうが好きかもしれないな自分は、などとぼんやり考えてみたり...etc

そうやって本に触れるにつれ自覚した自分の読書の傾向として、長編やシリーズもの大好き!と、同じジャンルの本を一定期間読み続けがち、が挙げられる。
おそらく自分はその物語やジャンル特有の世界観にある程度まとまった時間入り込んでいたいのかも、と勝手に分析して納得している。ちなみに現実世界もわりと好きです。念の為。
ここ最近はだいぶ長いことSF期間(それもハードSF多し)の中にいて、やれ宇宙だ次元だ量子テレポーテーションだのの世界にどっぷり浸かっていた。(かなり今更ながら「三体」3部作、びっくりするくらい面白かった。皆さん是非)
そしてそんな世界から帰還(?)してからの一発目がこういった恋愛小説だったので、それらの世界観のギャップがあり過ぎたのも今回ぶっ刺さった理由のひとつだったのではないだろうか。

何はともあれ、過多雑多な情報が行き交うこの現代、そこから逃避するかのように本というある意味閉じられた情報へ向き合う意識が日に日に強くなっている自分がいる。
不祥事やらコンプラやら不倫やら何やらでいつも賑わっている世界の隣で、少なくとも自分は自分の世界で思索や創作をしていたいもんだと、そう思う次第で強引な結びとさせていただく。