2025.9.26
vol.21 Re : run
静まり返るスタジアム
その静寂を破るピストル
6万人の大歓声
響く拍手と、歓喜の時
先週の2日間、東京で行われていた世界陸上を現地観戦してきた。
2年ごとに行われる世陸は毎回楽しみにしているが、34年ぶりの東京開催、しかも東京オリンピック時には無念の無観客開催の舞台となった国立競技場での開催とのことで意気揚々とチケットを確保して現地へ向かった次第である。
結論から言うと、心が奥底から震えるような、この上なく素晴らしい観戦となった。
自国・他国問わず競技へ向き合うアスリートへの応援とリスペクト。
素晴らしいパフォーマンスとそれを讃える万雷の拍手と歓声。
心から純粋に応援すること、拍手を贈ることがこんなにも人の心を揺さぶるという事実を、想像ではなく実感として、6万人の歓声が響き渡る国立競技場の中でようやく知ることができたように思う。
そして同時に、彼らアスリートについて考える。
彼らが積み重ねてきた時間について考える。
彼らが失ったものと、得たものについて考える。
彼らの孤独や葛藤、苦しみについて考える。
昨日より、過去の自分より、少しでも速く・高く・遠く。
彼らがそう思うことと、自分が自分の仕事に対してより上手く・より美しく作りたいと思うことにそう大きな違いがあるとは思えない。
いつだって中心にあるのは純粋な自己の技術の向上と、過去の自分や先人たちへの挑戦だ。
もしかしたらそういった部分を大きく投影していることが、陸上競技を観戦することへの思いの強さに繋がっているのかもしれないと改めて感じた。
2年後の世界陸上は北京での12年ぶりの開催だそうだ。
願わくば次の東京開催もそのくらいの周期で行われたら良いなと思う。
どれほど先になってもまた東京で開催される世界陸上は必ず観に行くし、そしてその時になれば、この2025年9月に国立競技場で心を震わせたことをきっと懐かしく思い出すだろう。
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と言うことで久しぶりのコラム更新。
春から夏にかけての繁忙期はやることが格段に増えるとはいえ、それにしても堂々と4ヶ月もコラムの更新を放置できるあたりはほんと自分らしいなと思っている。良くも悪くも。
もちろん忘れているわけではなく、ちゃんと「放置しちゃってるな」という認識をしつつ日々を過ごしていた。こういうとこは妙に図太いというか、気まぐれというか...
しかしこれも含めて自分だなと受け入れるしかあるまい。
夏を過ぎたあたりで毎年同じことを言っている気もするが、今年の春夏は間違いなくこれまでにないほど仕事量をこなした実感がある。もちろん有難いことである。
しかし自分のマネジメントに問題があったり、単純に技術的な経験不足もあったりと、余裕のない状況に陥ってしまった時期も少しはあったのが正直なところだ。マジな冷や汗をかきながら作業をしたのは初めての経験である。
そのように仕事の質(自分の場合は単純に作り出す品物の質ですね)に影響を及ぼす可能性がある状況はもちろんよろしくないのだが、そんな無茶苦茶な状況の中でも特に大きな問題もなくシーズンを乗り切れたことは何よりだ。
「あれを乗り切ったんだから」と思える自負ができたことは、ほんの少しだけ自分に自信を与えてくれることになるかもしれない。
これから先も取り組みたいことは多々あるが、今の自分に言いたいことはただひとつ。「手を動かせ」ということだ。YouTubeで町中華の厨房を映した動画を眺めている場合ではないのである。
あとはこのコラムを書く頻度をもう少し増やせることを願うばかりだ。(以前には週イチで書こうとしていたことが今では到底信じられない)
願うというか、書けよ、という話ではあるのだが。