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2025.5.9
vol.20 only 35

今日は私 蜂屋の誕生日である。35歳となった。
ひとつ大人になったという高揚も、また歳を重ねてしまったという落胆もない、至って平穏でニュートラルな心持ちである。
実際34と35はイコールだよな、と思っている。なお36も同様である。
個人的には6→7での変わり目がすこし違った感じするよな、とずっと昔から考えていた。26歳より27歳のほうがずっと「大人」だ。そして36歳はもちろん「大人」だけど、37歳はもっとずっと「いい歳した大人」である。ここには単に後半の数字になったからという理由ではない何かがあるような気がするが、正直よくわからない。
あくまで身勝手で無責任な「感じ」としての話だし、もちろん異論は認める。

今まで歳を重ねることに対してネガティブに思ったことはない。そして幸い、これまで35年間の「人生を楽しんでる度」は年齢と比例して右肩上がりとなっているように思う。
「あの時は楽しかったよな」ではなく、「あの時も楽しかったけど、今はさらに」である。もちろん大なり小なり日々ややこしいこともあるけれど、心からそう思えるのは本当に喜ばしいことである。
もともと楽観的な性格なこともあるが、「(工芸品としての)ものを作る」という経験の積み重ねがより顕著に出る仕事に就いていることも無関係ではないだろう。
仕事を積み重ねるほど経験も知識も増える。上手に作れるようになるし、出来ることも増え、仕事の幅も広がる。それ相応数の失敗と向き合うという前提条件付きではあるが、ある意味とてもシンプルだ。

以前にラジオでとある芸人が「お笑いはどれだけやっても報われないというようなことも全然あるし、ある意味では運の要素が大きすぎる。けど筋トレはそうではなく、やればやった分だけ成果が出るから最高なんです。」的なことを言っていたのを聞いたことがある。それに似たような感覚だと思ってもらえたら。(ただし「もの作り」においてのことであり、「商売」においてはこの限りではないとは思う)
あとは余談だが、この理論でいくと筋トレマッチョ野郎は気質的に職人に向くということになるが、いかがなのだろう...?
この先の長い人生で一度くらい確かめる機会があれば「マッチョ弟子入りの巻」回を作っても良いのかもしれない。その場合は必ず神回にせねばとは思っている。

なんやかんや書いたけど、35歳早々に「マッチョ弟子入り」などとタイピングしていて相変わらずだとは思うが、所詮この程度である。35歳とは。
もしより若い方がこのコラムに目を通していた場合は安心して歳を重ね、愚かな「大人」になって人生を存分に楽しんでいただきたく思う。なかなか良いもんだとは思うよ。
ちなみに本日5月9日はピッコロ大魔王が直々に公式発言された「ピッコロ記念日」でもある。こちらについては何もいうことはあるまい。