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2025.4.4
vol.17 春の夜に

頭を使う仕事に追われる時がある。
デザインを考える、文章を書く、予定や段取りの調整、込み入った内容のメールへの返信、提出する資料をまとめる etc.
そして大抵の場合、そういった事柄は複数を同時進行で処理していることが多い。
それらを行なっている最中は「頭を使っている」という意識は特にないのだが、その程度がわかるバロメータのようなものがひとつ明確にある。
就寝時である。
普段は超が付くほどの寝付き良し野郎の私 蜂屋ではあるが、時折ある頭をフルに使った日は、布団に入ってから「覚醒している」という自覚をはっきりと感じられる。もっと言うと頭の中で情報や意識(のようなもの)が節操なく渦巻いている感覚も鮮明に感じられる。そしてこういう場合は当然すぐに寝られるわけがない。
対局があった日の夜は頭の働きがなかなか静まらず寝付けられない、と将棋の棋士がインタビューで言っていたのを見たことがあるが(たしか永瀬さんだったかな)、その感じわかるで、と一方的に深く頷いている。
心から尊敬の念を抱いているそんな棋士の方々と一緒にするのも失礼な話にはなってしまうのだが。
(余談だが蜂屋は雁木を好む居飛車党で、どちらかと言えば攻め将棋寄りのタイプである。)

閑話休題

そんな寝付けない夜は、布団から抜け出し近く哲学の道へ歩きに行くことが多い。
無心になる、と言うよりは幾らかのゆるやかな考え事はしつつも頭を動きを徐々にクールダウンさせる、のような感覚に近いだろうか。
そして今くらいの季節は、寝付き云々に関わらず深夜に夜桜を見ながら哲学の道を歩くことを日課にしている。
日中は年間通して最も多いんじゃないかと思えるほど人手があるこの時期の哲学の道だが、当然ながら深夜は誰も歩いていない。この景観を独占している優越感に少し浸りながら歩いていると、「今年もまたこの季節が来たな」と感慨深くなる。
東北の冬が長い場所の生まれであるからか、春を待ち遠しく思う気持ちは人一倍大きいと自分では感じている。その春を迎えた喜びをひとり静かに噛み締めるような、そんな春の夜の散策である。